2018年5月4日金曜日

「国語読解・要約法」予告

「現代文の学力を身に付けるにはどうしたらよいですか?」

という質問は国語科の教壇に立った経験がある人は必づ何度も受ける質問でしょう。

その答えは何と言っても「勉強すればよい」なのですが、そう言われても困るというもの。要するにこの質問は「どう勉強すればよいのか?」という問題でもあります。

色々なアドバイスはあるのですが、絶対的に必要なことの1つとして「要約力」を付けることというのがあります。細かい事を除外すれば、初心者あるいはあまり得意ではない学生(具体的には現代文で偏差値60未満をとる可能性がある学生)にはこれが第一です。

既に絶版になっている現代文(現代国語)の参考書の中には絶版にすべきでない名著がいくつもあります。例えば、三省堂から出ていた石井庄司・藤岡改造共著の「わかる現代国語」「現代国語(現代文)の重点研究」などはその顕著な例と言えます。そして、その殆どが要約の大切さを冒頭からしつこいほどに説いています。

元代ゼミ講師で「東大現代文」等を担当していた故・堀木博禮先生もその重要性を力説されていました。堀木先生は淡々とした語り口でちょっと聞き逃したりして話についていけなくなるとそのお声と抑揚の少なさから「堀木の子守唄」と呼ばれるほどの眠気を誘う事でも有名(?)でしたが、堀木先生の講義は非常にオーソドックスかつ正統派で、しっかり1年ついて行った卒業生で「大学でのレポートや論文作成などで資料を読んだり、まとめたりするときに困ることはなかった」という経験を持つ人が多いです。

まぁ、堀木先生について書き始めると色々な思い出話が出てきてしまうので、今回はこの辺にしておきます。

閑話休題。最近は初っ端から要約などを訓練するような硬派で読者に盤石な国語力を付けさせる本は中々在りません。やはり売れないんだろうな、と思っていたら、面白い本を見つけました。

それは「国語読解・要約法」という、いかにも売れなそうな本です(笑い



私が「売れなそう」という場合、実は最大限の褒め言葉でありまして、この時代、売れない名前なのを分かっていても敢えてこういうタイトルにする著者の気概というか意気込みというか、使命感のような熱情がこの「売れなそうなタイトル」からひしひしと伝わってくるのは間違いない事実なのです。

ただ、こうした本、当たりはずれが大抵両極端です。 著者の気概がそのまま結果に結びついている名著か、空回りして残念な本になっているかの大体どちらかです。当たりであることを祈りつつ、読んでみました。 どうやらこの本、元々は1989年「現代文要約法」というタイトルの大学受験用参考書として出版して、絶版になったものを一般書としても耐えうるようにして改訂版をPOD版として出版した、はしがきにあります。何やら嫌な予感がします。

1989年というと私がちょうど国語科、英語科を中心に教壇に立ちつつ、受験指導に1日16時間労働(平均)、月1日フルに休めればよい方、という今では考えられないような過酷な状況で激しい受験戦争のまっただ中、最前線で指揮を執っていた頃。この時代の良い参考書で知らないものがある方が不思議、という頃です。

そして、私はこの本の元々の本になったという「現代文要約法」が記憶の片隅にもないのです。そこで、ちょっと気になって奥付を見て、出版元になっているNPO法人を調べたらこの著者が理事長をされている団体。正直ちょっと不安になってきました。でも、嫌な予感を振り払いつつ、本文を読んでみました。

結論。

残念ながら「ハズレ」でした。

ただ、ここで「ハズレ」という結論だけを書いて終わってしまうのは少々無責任な感じもします。また、「ハズレ」というには主観的な話や個人の好みの問題などではない、それなりの理由がきちんとあります。

ダメな本が「どうしてダメなのか?」というダメな理由をきちんと書いておくこともこのブログを読んでくださっている人の何かの参考にもなるかもしれません。そこで、今日のブログは「予告」として、後日(他の記事を書いたり仕事をしたりしている片手間で書きためる形で)その理由もきちんと書いておこうと思います。

と、言うわけで、今回は思ったより長々と書いてしまいましたが「残念な話」とそこから続く「予告」ということにして終わりにしたいと思います。



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