2018年5月17日木曜日

受験英語の流派(1)

受験英語には流派があります。

例えば、このブログでも色々と著書を紹介している「伊藤和夫流」や「試験に出るシリーズ」の「森一郎流」、あるいはというか古くは「英文標準問題精講」等の「標準問題精講シリーズ」の「原仙作流」やその傍流という性格が無きにしも非ずの「基礎問題精講シリーズ」が有名な「中原道喜流」等々。

これらの先生方は英文法、英文解釈、英作文と英語学習の一通りのジャンルの著作を一人で表しているので、例文などに互換性があったり、説明に共通性があったりという同じ著者ならではの解説の仕方で貫かれています。とりあえず最初はどれかの流派に絞って勉強するのが楽に学力がついてきます。そうすることで「その著者の英語に対する考え方」を身に付けることができます。これは武道などを師匠について修行し、免許皆伝を目指すのに近いものがあります。これがここで言う「受験英語の流派」なのです。

もちろんこうした一人の著者に絞らず、英文法を山口先生の「実況中継」で、解釈を中原先生の「基礎問題精講」で等と言ったように色々自分に合ったものを織り交ぜて、という方法も組み合わせによってはとても効果的な場合も多いでしょう。

「流派」に所属するか、しないかは好き好きですが、昭和の受験戦争華やかりし頃は殆どの受験生がまづ最初はどこかの流派に属し、免許遺伝する(つまりその著者の著作の中で一番ハイレベルな本を仕上げる)と、今度は他流派ではどんな説明をしているのだろうと、他流派の中でもハイレベルに属する本を色々とやったりしている、という姿もよく見られました。

ようするに、一つの流派をやり抜くことで、どの流派の本でも読んですぐに血肉化できる学力を身に付け、他流試合鍛えたり、自分の流派とは違った考えの他流派を学んだりしたのです。そうすることで剣法で言えば正統派の流儀を免許皆伝になった後で暗殺剣を究めるような自在性を身に付けられるのです。

もちろん、そんな余裕はなく、一つの流派の免許皆伝で受験の当日を迎える人もなり多く、他流派にまで手を出せない人が特に現役性は殆どでしたし、免許皆伝まで行かずに受験当日を迎える人はさらに多くいました。

今、このブログでは伊藤和夫の著作についてを、言い換えれば「伊藤流」について書いています。これが終わったら、他の流派についても書いて行こうと思います。そして、ある程度各流派の解説がまとまってきたら、その上で「各流派の比較」や「各流派のメリット、デメリット(強みと弱み)」等を書いて行こうと思っています。

そんなわけで今回のタイトルは「受験英語の流派(1)」となっていますが、「受験英語の流派(2)」はまた相当後の話になります。

今後もこういうコラム的な記事を時々挟んでいきたいと思っていますので、ご感想など頂けると参考にさせて頂けるので嬉しいです。気が向いたらよろしくお願いします。

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